Van Halen(ヴァンヘイレン)

アメリカのハードロックバンド。JUMPなどのヒット曲で知られる。

エドワード・ヴァン・ヘイレン Edward Van Halen


エドワード・ヴァン・ヘイレン Edward Van Halen - Guitars, Keyboards & Chorus

「エディ・ヴァン・ヘイレン」とも呼ばれる。ヴァンヘイレンドラマーのアレックス・ヴァン・ヘイレンは実兄。姓はオランダ語では「ファン・ハレン」と発音するが、この兄弟に関してはオランダ生まれながら英語読みの「ヴァン・ヘイレン」が一般化したようである。父と同じ道を歩んだヴォルフガング・ヴァン・ヘイレンは息子である。

ローリング・ストーン誌の2003年8月号のカバーストーリー、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」に於いて第70位。

<来歴>
1955年1月26日、オランダのナイメーヘンで生を受ける。父はオランダ人、母はインドネシア系。 1967年にオランダからアメリカ・カリフォルニア州のパサデナへと移住する。父親がクラリネット奏者であった事もあり、幼少の頃よりピアノやヴァイオリン楽器を演奏していたヴァン・ヘイレン兄弟だが、そこでロックに影響され、弟のエディがドラムを、兄のアレックスがギターをはじめる。しかしほどなくして二人とも互いに楽器を交換する。その後バンドを結成し、活動を開始する。その後、ヴァン・ヘイレンとして大成功を収める(詳細はそちらの項目を参照のこと)。

1981年に女優のヴァレリー・バーティネリと結婚。

2000年に、喉頭癌が発覚し、バンド活動を中断する。その後、病気は完治したとされるが、2006年春、メンバー間での不仲により、バンドは解散状態に陥った。

2007年3月8日、エディーが、自身の体調が完璧ではない事を理由にリハビリ施設に入所する事となったと、オフィシャル・サイトで発表した。2007年9月27日よりヴァン・ヘイレンのツアーを開始。

2007年12月6日、ヴァレリー・バーティネリと離婚。原因は双方の浮気で数年前から別居していたという。


<音楽性>
○音楽性のルーツ
最も大きな影響を受けたロックギタリストは、クリーム在籍時のエリック・クラプトン、ジミー・ペイジ、アラン・ホールズワースを挙げている。現在のクラプトンに関しては「うーん、彼も弾こうと思えばクリーム時のプレイを弾けるんだろうとは思うんだけど...」[1]と、言葉を濁している。また、最近ではチェロ(クラシック)のヨー・ヨー・マを聴いている、とインタビューでは述べている。
○ライトハンド奏法
デビュー前から。右手の指でのハンマリング・オンにより音を出す「ライトハンド奏法」(現在では「タッピング」という呼び方が一般的)を駆使した独特のギターサウンドを作り上げ、後世のギタリストに多大な影響を与えた。

○鍵盤奏者として
ギターの他には、バイオリンだけでなく、ピアノも演奏することが出来、作曲はピアノでしている、とインタビューで述べている[要出典]。ヴァン・ヘイレンの曲のPVの中で、自身が実際に、キーボードを演奏している様子が映し出されているものもある(「ジャンプ」「ノット・イナフ」「ホウェン・イッツ・ラヴ」など)。また、サミー・ヘイガー在籍時のライブにおいては、曲によってギターパートをサミーに任せ、エディ自身はキーボードに専念する場合もあった(「ホワイ・キャント・ディス・ビー・ラヴ」など)。


炎の導火線 - Van Halen


炎の導火線 - Van Halen (1978)
<解説>
エドワード・ヴァン・ヘイレンは、多くの楽曲でライト・ハンド奏法を用い、この奏法を広く知らしめた[1]。インストゥルメンタル「暗闇の爆撃」は、エディが個人練習で弾いていたフレーズを、プロデューサーのテッド・テンプルマンがたまたま耳にして、レコーディングすることになったという秘話があり、2009年に『Guitar World』誌が選出した50グレイテスト・ギター・ソロで2位にランク・イン。

「悪魔のハイウェイ」は、後に『リトル★ニッキー』(2000年公開)等の映画のサウンドトラックに使用された。「ユー・リアリー・ガット・ミー」は、キンクスが1964年に大ヒットさせた楽曲のカヴァー。「アイス・クリーム・マン」は、ブルース・ミュージシャンのジョン・ブリムのカヴァーで、後にデイヴィッド・リー・ロスがソロ名義で発表したカヴァー・アルバム『ダイアモンド・デイヴ』(2003年)でも再演されている。

アルバムは全米19位に達し、先行シングル「ユー・リアリー・ガット・ミー」は全米36位、セカンド・シングル「悪魔のハイウェイ」は84位に達した。本作はロング・セラーとなり、1996年の時点で本国アメリカでの売り上げが1千万枚を超え、RIAAによりダイアモンド・ディスクに認定された。ローリング・ストーン誌が2003年に選出したオールタイム・グレイテスト・アルバム500では415位にランク・イン。


<曲名>
1. 悪魔のハイウェイ - "Runnin' with the Devil" - 3:35
2. 暗闇の爆撃 - "Eruption" (Eddie Van Halen) - 1:42
3. ユー・リアリー・ガット・ミー - "You Really Got Me" (Ray Davies) - 2:38
4. 叶わぬ賭け - "Ain't Talkin' 'bout Love" - 3:49
5. アイム・ザ・ワン - "I'm the One" - 3:46
6. ジェイミーの涙 - "Jamie's Cryin'" - 3:29
7. アトミック・パンク - "Atomic Punk" - 3:03
8. おまえは最高 - "Feel Your Love Tonight" - 3:42
9. リトル・ドリーマー - "Little Dreamer" - 3:23
10. アイス・クリーム・マン - "Ice Cream Man" (John Brim) - 3:19
11. 炎の叫び - "On Fire" - 2:57


デビュー前の歩み



<デビュー前の歩み>
エディとアレックスのヴァン・ヘイレン兄弟は、オランダのナイメーヘンに生まれる。 クラリネット奏者であった父親の影響で、幼い頃からピアノやバイオリンなどのクラシック音楽を学んだ彼らであったが、アメリカのロサンゼルス近郊のパサデナへ一家で移住すると共に、ロックンロールやポップスに興味を持ち、兄・アレックスがギターを始め、エディがドラムを購入、練習を始める。 しかし、エディがドラム購入のために借りたお金を返すためにしていた新聞配達の間に、アレックスが勝手に叩いていたところ、いつの間にかエディより巧くなってしまったため、お互いの楽器を交換し合うというエピソードが伝えられている。

その後、ヴァン・ヘイレン兄弟はジェネシスというバンドを結成。トロージャン・ラバー・カンパニー、ブローケン・コムスなどと名前を変えつつ活動を続ける。兄弟揃ってパサディナシティカレッジに入学すると、バンド名をマンモスとして、対バンド仲間であり校内で人気を争っていたレッド・ボールジェッツからデイヴィッド(デイヴ)を引き抜く。 マンモスはPA機材をデイヴから借りていたが、そのレンタル料が惜しくなっての引き抜きだったとも言われる。 また同じ学校のスネイクというバンドからヴォーカル兼ベーシストのマイケルを迎え入れ、デイヴの提案によりバンドは名前をヴァン・ヘイレンと改める (ちなみにイギリスでは「ヴァン・ハーレン」と呼ぶ)。

バンドはパサデナを中心に、ロサンゼルス、ハリウッドなどのクラブでライヴを重ね、徐々に人気を集めていく。 このころのレパートリーは、レッド・ツェッペリン、キッス、ZZトップ、エアロスミス、ディープ・パープルなどのカヴァー曲を中心に、オリジナルを織り交ぜたものだった。

1976年、KISSのジーン・シモンズの資金援助を受け、デモテープを作る。 しかしレコード会社は興味を示さなかった。 1977年11月、レギュラー出演していたクラブに、ワーナー・ブラザーズ社長のモー・オースティンと、プロデューサーのテッド・テンプルマンが突然現れバンドに契約書を渡し、24時間以内の契約を迫るが、バンドはその場で契約を決めた。